第 1 節: 「また私は、天にもう一つの巨大な驚くべきしるしを見た。七人の御使いが、最後の七つの災害を携えていた。神の激しい怒りはここに窮まるのである。」
第 15 章では、七人の御使いによって注がれた七つの鉢の災害によってもたらされる世の終わりについて書かれています。使徒ヨハネが見た「天にもう一つの巨大な驚くべきしるし」とは何でしょうか。それは、聖徒たちがガラスの海のほとりに立って、主のみわざを賛美している不思議な光景です。
第 2 節: 「私は、火の混じった、ガラスの海のようなものを見た。獣と、その像と、その名を示す数字とに打ち勝った人々が、神の立琴を手にして、このガラスの海のほとりに立っていた。」
ここでの「火の混じった、ガラスの海のようなもの」という表現は、神が七つの鉢の災害を注がれるときに、この地上での苦しみのうめき声が最高潮に達し、一方、聖徒たちは空中で主を賛美していることを告げているのです。神によってこの地上に注がれる七つの鉢の災害は、聖徒の敵に復讐するためにもたらされます。
https://www.bjnewlife.org/
https://youtube.com/@TheNewLifeMission
https://www.facebook.com/shin.john.35
第 15 章では、聖徒の携挙の直後に、神の敵として神に敵対した者たちに注がれる七つの鉢の災害が描かれています。このように七つの封印、七つのラッパ、七つの鉢など、黙示録に共通して登場する「七」という数字は、神の完全さと神の全能の力を象徴します。イエス・キリストは全知全能の神です。イエスが私たちにとって全知全能の神であるということは、私たちの主が全能の神であり、不可能なことは何もないということです。私たちの主は、すべてのことを計画なさり、それらをすべて成就する力を持つ神ご自身であられます。聖徒はこのように、主がこの世界に注がれる七つの鉢の災害を通して明らかにされた全知全能の威厳と力について、主を賛美しなければなりません。このような裁きが、主の全知全能によって可能となることを感謝します。主が七つの鉢の災害と地獄の永遠の苦しみによって敵に復讐なさることは、聖徒にとって感謝しかないことであり、最もふさわしいことなのです。ですから聖徒は、主を賛美せずにはいられないのです。ハレルヤ。 https://www.bjnewlife.org/https://youtube.com/@TheNewLifeMissionhttps://www.facebook.com/shin.john.35
黙示録 11 章のみことばは、神のすべてのみことばと同様、私たちにとって非常に重要なものです。世界を滅ぼすために、神があらかじめなさる必要のある、重要なみわざがあります。それは、イスラエルの民を最後に収穫することです。また、神はイスラエル人と異邦人の両方に、もう一つのみわざをなさいます。それは、彼らを殉教させて、第一の復活と携挙にあずからせることです。こうした問題に関して聖書は全体的な説明をしているので、罪の赦しという神の救いが新約聖書でどのように成就されたかを知る必要があるのです。聖書がこうしたテーマで私たちに語りかけているのは、これらをよく調べないと、黙示録に登場する聖徒たち、神のしもべ、イスラエルの民について混乱してしまうからです。 https://www.bjnewlife.org/https://youtube.com/@TheNewLifeMissionhttps://www.facebook.com/shin.john.35
七つのラッパの災害のうち、今日の聖句では、第五のラッパの災害と第六のラッパの災害に触れています。第五のラッパはイナゴの災害を鳴らし、第六のラッパはユーフラテス川での戦争の災害を告げています。私たちが最初に知る必要があるのは、聖徒たちがこの七つのラッパの災害を経験するのかどうかということです。これは、私たちが聞き、知り、信じなければならない最初のことです。 https://www.bjnewlife.org/https://youtube.com/@TheNewLifeMissionhttps://www.facebook.com/shin.john.35